8日間のキリスト教的ヴィパッサナー瞑想に与かった方の体験談(その4)

(各々の方の体験談の一部のみを紹介しています。)

2015年711日〜20日の参加者より

(信徒女性)

ヴィパッサナーは初めてで、8日間の参加で、大きく揺さぶられた体験でした。

始 めは、吸う息と吐く息を、鼻孔の入り口あたりの皮膚で感じる取組みでしたが、わたしには何も感じられないで、そんなことを感じられること自体が信じられな いような思いでした。また、最初、3分から始まり、15分、20分と呼吸に集中する時間が伸びてくると、雑念が沸いてきて・・・たったこれだけのことが出 来ない自分に腹が立ってきて、苛立っている自分がいました。

ただ、講話が素晴らしくて、深く魂と頭に響いてきて、瞑想の取り組みは相変わらず迷走していましたが、信頼して、取り組んでいこうと思いました。

中 日あたりで、精神的に大変苦しくなりました。講話で、意識が段々透明になってくると、無意識のところに溜まっていた意識が意識の表面に上がってくる・・と のことでしたが、正にその現象が起こってきました。下に沈めておいたネガティヴな強い感情が上がってきて、それをからだがどう感じているかを観てみると、 「みぞうちあたりがヒリヒリする」というものでした。それを、言語化(ラベリング)して、みぞうちあたりに意識を向けながら、「ヒリヒリする」と実況中継 し続けましたが・・・その痛みは治まらないまま眠りにつきました。

次の日、ラベリングを止めて、翌朝起こってき た「もの悲しい」感覚の実態を観察しました。それは、水分をたっぷり含んだ感じ、あまり濃すぎない灰色で、お水くらいの温度・・・そんな感じでした。 じ〜っと眺めていましたが、小さくならないので、その瞬間、瞬間の「今、ここ」の音や自分の動作に目を向けつつ、また、思い起こしてみぞうちあたりに戻り ました。ある時、気がつくと・・・「その感覚」は無くなっていました。わたしの小さな、けれど、現実の体験でした。

ま た、瞑想修行が深まっていき、「表面感覚」と「内部感覚」に目を向ける取り組みの時、段々研ぎ澄まされた感覚(エゴを超え出た開かれた感覚)で、頭を観る と・・・とても微かに、気が送られた時のように頭の表面が立ち上がってきました。からだの意識を向けたところが、喜んで立ち上がってきました。心臓の鼓動 すら感じ取ることが出来たとき、それは、本当に密やかないのちの営みの神秘を感じさせてもらった、美しい感動のときでした。

神の霊が わたしを通して 受肉している。
わたしのからだを通して、神の霊と真の自己が遭遇した・・・神秘の体験でした。

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(信徒男性)

瞑想期間中、最初は座ると足に痺れがすぐ来て、どうなるものかと、先行きが思いやられましたが、途中からは、なんともなくなりました。

その間、自分で心掛けた事は、リラックスする、心のスペースをつくる、余裕、ゆとりを持つ、身体が安定したら、出来るだけ動かない事でした。どうしても痺れて辛い時は、腹式呼吸をしていました。

そして師の講話と瞑想中の解説は大変丁寧で、わかりやすく、安心出来ました。
それと、同期のメンバーも、それぞれ、とても素敵な方々に恵まれ感謝です。
現在は、最終日の朝の瞑想「全方位的瞑想と慈しみの瞑想」を継続して居ります。

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(信徒女性)

キリスト教の“I am that I am.”、無差別性、恵み、清いもの、存在肯定や、上座部仏教のヴィパッサナーとの交わり、興味深い講話がとても面白かったです。また、今ココを観る為のいろんな方法を体験させていただきました。

最 初、3分間だけ呼吸を観るところから始めました。たった3分というのに集中できず思考が動き回ることに自分の脳の動きながら驚きました。“自分の脳”のは ずなのに自分では全くコントロールできず勝手に動き回る、たった3分がもうじっとしていられないのです。脳や思考だけではなく、体の動きのほとんどは自分 の意志とは関係なく、自然に動き続けています。

この自然の動きを観ていくこと、受け入れていくこと、認めていくこと、これがヴィパッサナーであり、全肯定というアガペの目指すところなのかなと感じました。客観的に明鏡止水のように今、ココを平静に気づいていく・・・。

こ の特別な8日間は修道院という非日常の中で、集中して身体の感覚や思考の流れを観ていきました。千葉や京都のヴィパッサナーセンターと違い、時間割もゆっ たりと組まれていて、完全個室、シャワーの順番や時間にヤキモキせず、窓からの緑も豊かな室内で、美しい空間、生活面も恵まれていて、自己に集中しやす かったです。

日常に戻りヴィパッサナーを少しずつ実践しています。歯を磨くとき、階段の上り下り、歩くとき、寝るときなど身体感覚に集中して今ココだけに存在します。そういう時、何やら気力みたいなものが湧き出るように感じます。

思 考を観るときをもっと増していきたいと思っています。例えば仕事が終わってホッとする心地良さ、人と意見が合わずイライラする感じ、ある日、傘を持ってい ないときに限って雨が降りがっかりするときなど。すべては感覚体験、感情体験、思考体験と観られるくらい冷静であればすべてが流れていき、詰まり (・・・)がなくなるようです。思考と身体の関連も少し観られるようになりました。

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